あらすじ
小説家である主人公、森木ヤマネは新型コロナ禍のさなか、知人の映画監督の紹介で、ある公開講座の手伝いをすることになる。参加者は記憶や経験を映像や写真、文章にして表現し、発表していく。過去に行った不思議なジュースの店、自分が生まれる前に死んだ叔父、住んでいるベルリンの部屋——。その後、感染症が落ち着いたころに、主人公たちは戦争の記憶を持つ東京・旧日立航空機立川工場変電所で再開する。
新型コロナ禍と記憶
記憶、経験という誰もが持っているものを「視覚的に表現する」という講座の設定をまず面白く感じました。小説内では、参加者が写真とセットで発表していく様子が書かれているのですが、何人かが表現の際に「装飾」をしているのが興味深かったです。たとえば、ある人は父親が子どものころに猿と交流した話を表現するときに、父親ではなく、似た背格好の叔父をモデルに写真をとるなど。もういない、映画俳優のようなおじさんを祖母や親族に聞いた話で表現する話なども面白かったです。何かを伝える際に、そのものがどう伝わるか、を考えると、実際の事実からずれていくことはあるなと感じました。
新型コロナ禍の渦中の設定なので、講座はオンラインで行われてます。最近でもオンラインのイベントはありますが、あの時の、外出を制限される中で自分の部屋でじっと画面を見るしかない感覚、どこまで続くかわからない不安は、コロナ渦特有のものだったなあと振り返って思います。
内にこもっていく(こもらざるを得ない)新型コロナ禍中の感覚と、自分の中の記憶や経験を探っていく感覚はベクトルが似たところがあるのかもしれません。
内にこもって取ってきた/見てきたものを、現実の社会にいる、他人に表現する。そこに蓋をされたような気持ちが「外出・接触の制限」にはあったなと振り返って思います
直接他人と話すことの豊かさ
柴崎友香さんの小説の会話文は、まるで現実の誰かが横で話しているようなリアルな感覚(これ、会話文だけでなく地の分や時間の流れにも言えることなのですが…)を覚えることが多いです。
今回もたくさんの登場人物たちの会話をリアルに読みましたが、個人的にすごい、と思ったのは最終章。
コロナが収まり、講座も終了した後で、主人公のヤマネと参加者たちが直接会い、東京・旧日立航空機立川工場変電所を見学に行くのですが、そこで繰り広げられるとりとめもない会話。まるで自分も会話をその場で聞いているようで、急に話題が変わったり、持っている情報がうろ覚えだったり、唐突に話し出したりする感じがリアルです。また、歩きながら(どこかに行きながら)話すと、その周りの風景だったりが自然と会話に取り込まれていくのですが、それはやはりオンライン上だと生まれない会話だよなあと思いました。誰かと直接会って、どこかに行って話すという当たり前の光景が、コロナ禍のパートの後に配置されることで、当たり前であることの豊かさを際立たせます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。よい1日を!
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